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私を制限してきたのは…
私は相当な制限を受けてきた、ときんたろうさんに言われました。

それをしてきたのは誰なのか。
祖母だろう、と思っていましたがなんだか違う気がしてきました。

もちろん、家族一人一人が私を制限してきたのだろうと思います。
でも、私が一番恐れ、怯えているのは祖母ではありません。
母親も途中でいなくなったので違います。

ぼんやりと分かる気がします。
でも怖くて言えません。
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[2015/09/25 00:14] | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
意思がない
私の家庭には、私のありのままを受け入れるという環境は存在していませんでした。
私の感情、私の意思、私が苦手なこと、それが家族の中にはなかったのではないかとさえ思います。

私がどうしたいかよりも、どうすべきか、どうあるべきかが最優先。
そもそも私に感情や意思があることを家族は分かっていたんだろうか。

私がこうしたい、と意思を持つ以前に、「こうでなければならない」という絶対のルールや基準があって、それに従うことが当然という空気があって、私自身もそれを当然と思い込んでいました。

一番悔しいのは、私の人格そのものが尊重されていなかった、ないものとして扱われていたように思うこと。
他の家族を見ると、子どもが泣けば「どうしたの」と聞いています。これが驚き。
我が家だったら理由など関係なく「ぎーぎーうるさい、泣くな」と言われ、黙るしかありませんでした。
転んで泣いていても、うまくいかなかくて悔しくて泣いていても、同じように「うるさい」と言われていました。
親を不快にさせる私が悪い、ただそれだけ。


それがどれほど理不尽なことか、他の家族を観察するまで知りませんでした。
子どもが泣くのを不快に思わない親がいるなんて!
親に「これ買って~」と気軽に言えるなんて!
そういう家族の多いこと。実は自分の家族がおかしかったんだと認めざるを得ません。

そりゃあ他の人に嫉妬するはずです。
とてもとても悔しいです。
[2015/09/25 00:10] | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
「満たされる」感覚って…
GSで、私が「8割満たされている」というのは逆じゃないかと指摘されました。
私は周りから見ると満たされているようには見えないそうです
自分では「満たされた」と感じる場面が増えているので、けっこう衝撃的でした^^;

私は「満たされている」のではなく、愛されているか確認して「愛されている」と感じられればホッとするようです。
それで、私の「満たされている」はなんなのか考えました。
私の愛情確認と心の状態を例えるなら、心の中にコップがあるイメージです。

たぶん、普通の人のコップはビールジョッキぐらいの大きさがあって、常に半分くらい水が入っている。
私のコップはうがい薬についている小さなカップぐらいの大きさで、底の方に少し水がたまっている。

水は「温かい記憶」です。
親から、友達から、周りにいる人たちからの愛情や温かい気持ちがコップの中に注がれて、それが基盤になって生きているのではないかと思います。

私のコップは小さいから、すぐに空っぽになってしまう。私の心の中には常に風が吹き荒れているから、コップの中に注がれた水はすぐに乾いてしまう。

空っぽになると不安になるので、愛情確認をして安心すると、コップが一時的にいっぱいになる。これが「満たされている」という感覚だと思います。
でもすぐに空っぽになるからまた愛情確認をする。

その繰り返しが「満たされている」という言葉につながったような気がします。
きんたろうさんは「一般の人にも空虚はある」と言っていました。
でもそれを普段は意識していないから、そもそも「満たされる」という言葉自体が出てこないのかもしれません。

私の勘違いは私自身の上下動の激しさから出てきたものなのかなと思いました。
[2015/09/21 22:40] | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
自由であること
今日は敬老の日。
ラジオを聴いていたら、「いまどきの高齢者」というお題で話をしていました。

その中に、「スマートシニア」なる言葉が出てきました。
寝たきりになっても枕元にタブレットを置き、孫とテレビ電話で話したり、ネット通販で買い物したりと、自由に文明の利器を使いこなすお年寄りがこれから増えるだろう、という話でした。

私の「寝たきり」のイメージといえば、言葉は悪いですが「ただ生きているだけ」という感じ。自由に動くこともできず、ぼんやりと一日を過ごす、寂しいイメージがあります。
もしそんな時代が来れば、寝たきりも怖くない!と明るい未来を感じました。

で、自分はどうか・・・
私は体が自由に動くけど、もしかしたらスマートシニアの人より不自由かもしれない。
自由に動けるのにいろんな禁止令に制限されて「できない」と思い込んでいることがあまりに多い

大事なのは心が自由であることなんだなとつくづく感じました。
[2015/09/21 22:20] | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
9月11日GS
無感覚ということについて
「悲しい」「かわいそう」と思う感覚が人とずれている。

多種多様な我慢をしているのに、本人はそれを辛いと思っていない。
ACの家庭では毎日震災が起きているようなもの。震災が起これば不自由な生活になるが、それが当たり前だから不自由な生活も我慢できる。
それでも初めは怖かったはず。それを誰にも言えず、さらに頻度が高いから感覚がマヒしていく。


Pさん、小3のころから毎日米とぎをしていた。
家族7人分、1升以上の米を毎日といでいて、それを当たり前だと思っていた。
米をとがされる嫌気よりも、夜中米をといでいてゴキブリが出てきたのが嫌だった。

それをしないと蔵に入れられていた。あるいは無視された。
親に無視されるのは子どもにとって、叩かれるよりも大きなダメージを受けることでしょう。
お兄ちゃんたちも叱られたら蔵に入れられていた。お兄ちゃんはこっそり豆電球を持って入って、暗くなってつけたら怒られたらしい。
うまい具合に抜け道を探したPさんのお兄ちゃんに心の中で拍手しました^^

小学生の小さな手で1升の米をとぐのは大変な作業だと思う。
それを毎日していたというのだから、胸を張って自慢できると思います^^


Hさん、鼻をすすらない。
子どものころ一人で夜中家にいたとき、音をたてないようにしていた。
音を立てると外に停まっているトラックの運転手に聞こえるかもしれないから。聞こえたら家に入ってくるかもしれない。
存在を知られないようにしていた。
エアコンも電気もつけず、真っ暗な中で息を殺していなければならなかった。その緊張感が鼻をすすることさえできなくしている。

夜中に一人で留守番するのは怖かっただろうなと思います。
音を立ててはいけない(存在を知られると怖いことが起きる)、音を立てることへの恐怖は私にもあるので、自分と重ねながら聞いていました。

Kさん、お母さんと一緒に寝たかった。でもお母さんは弟とばかり寝ていた。
たまに一緒に寝たとき、お母さんがKさんの頭を爪でコリコリ掻いていた。
痛かった時もあったけど、それが心地よかった。

「お母さんと一緒に寝たかった」というのを聞いて、胸が痛くて涙が出ました。
普通の子どもなら当たり前にしてもらっていただろうことを「してほしかった」と言わなければならないことがとても切ないです。
お母さんが爪で頭を掻いていた話は、情景が伝わってきました。
Kさんにとって大切な思い出だったんだろうなと思いました。

私のこと。
8割満たされてる、は逆。「満たされる」というのは気持ちが通じ合ってこそ生まれる感覚。
自分が普通に笑って、相手も普通に笑ってくれる、それに満足すること。

私の場合は一方通行の愛情確認。
愛されているか確認して、安心したら満たされる。

私は普通に笑うことも制限されている。精神的に縛られている(らしい)。
なのに悔しさを感じていない。嫉妬することで自分の悔しさを外部に向けている。
悔しさを感じること。自分が本当は何に怒っているのかはっきりさせること。
[2015/09/19 23:29] | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
会社の愚痴
2か月ほどの間に、仕事でほかの店のスタッフと働く場面が何度かありました。

そこでは会社の体質について話がよく出ます。
そうしたらでるわでるわ・・・スタッフが「ブラック企業だ」と酷評するのもうなずける話が出てきました。

辞めていった人たちが労働基準監督署?に苦情を言って、何度も監査が入ったという話も聞きました。

上司は気分でものを言うから、この前は「こうしろ」と言われたことが今度は「するな」になる。
それでスタッフは振り回されるのだと愚痴っていました。

それは私も感じていましたが、私自身が言われることについては「自分ができていないからだ」と思っていました。
自分が足りないから注意されるのか、上司の言い分が理不尽なのか、うまく分けられずもやもやしていました。
理不尽な注意であっても、それが理不尽なのか分からない。だから全部自分のせいにして自虐に陥って、お客さんが怖いと逃げ腰になっていたと思います。

ほかのスタッフと話して、私のもやもやを言葉にしてもらってすっきりしました。
でも、愚痴を聞いているとそれに巻き込まれて「この会社嫌だなあ」と感じることも増えてきました。

自分はどう感じているのか、ほかのスタッフのフィルターを通して会社を見てはいないか、軸をちゃんと持たないといけないと思いました。
[2015/09/15 21:02] | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
愛されていなかったのかもしれない
子どものころ妹ばかりがかわいがられていると感じていたのは、私の被害妄想だと思っていました。
本当は私も同じようにかわいがってもらってたけど、それを思い出したくないから記憶を消してるんだろうと思ってました。
でも、嫉妬の正体が過去とつながると、私は母親に愛されてなかったと認めることになります。

妹だけが母親からお菓子をもらえていた。
妹は母親と二人だけの時間を過ごしていた。
妹は母親の愛情を感じていたから、母親を怖いと思わなかった。

子どもの私はそれを知っていた。でも何も感じないようにしていた。
私がお菓子をもらえないのは「ほしい」と言わなかったから。「私にもちょうだい」と言えばきっとくれたはず。
そう思うことで、「自分は愛されていないのかもしれない」という不安を認めないようにしていました。

母親に愛されていないことが私の思い込みなら、なぜこんなに妹に嫉妬するのか。
子どものころのことを思い出そうとすると悲しくなるのはなぜか。

もしかしたら妹だって本当の意味では愛されていなかったのかもしれない。
それでも、私が知らないお母さんの笑顔を知っている。

お母さんからずっと言われ続けた「あんたはクサレ」という言葉。私が言われて一番嫌だった、悲しかった言葉。
妹には一度も言ったことがない。

たとえ包丁を向けられても、妹は母親との温かい時間を憶えている。
だから母親が出て行った後も連絡を取り続け、一時期は一緒に暮らすこともできた。

私は怖くて母親の顔を思い出すこともできなかったのに。

これは私の被害妄想からくる思い込みかもしれません。
むしろ思い込みであってほしいと思います。

今の母親は、妹より私のことを心配しているらしい。
それを聞いて「勝った」と思いました。

でもその視線がいつ途切れるかは分かりません。
お母さんは結局、いつだって自分のことで精一杯の人だから。
現在の母親の話を聞いたのももう何年も前のことです。

妹も母親も自分の生活で手いっぱいで、私のことなんか眼中にないのに、私はいまだに二人の背中を追い続けています。
見返りのないものにこだわり続けて、これ以上自分の人生を無駄にしたくありません。
[2015/09/10 03:25] | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
嫉妬の中身
私がカップルに嫉妬すると話すと、「なぜ彼氏がいるのに嫉妬するの?」と聞かれます。
私も理由が分かりませんでした。

同棲している人、デート中の人を見るたびに悔しい気持ちでいっぱいでした。

でも、同棲へのあこがれは一人暮らしを始めて弱くなりました。
毎日一緒にいたら「ちゃんとしなきゃ」というプレッシャーに押しつぶされてしまいます。
本当は「一緒にいられること」がうらやましいのではなく、「愛されていること」がうらやましいのかもしれません。

私の「愛されたい気持ち」は、周りにいてくれる人たちのおかげで8割満たされていると感じます。
残りの2割は「お母さんに愛されたい」です。こればかりは誰にも代わりができません。

その2割がカップルを見るたびに刺激されて、どんどん膨らんでいく気がします。
子どものころ、妹と母親が仲良くするのを、私は指をくわえて見ていることしかできなかった。
その悔しさがカップルを見る度によみがえるのではないかと思います。
[2015/09/10 02:45] | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
カビ餅
先日のボイスで、お餅の話が出ました。

カビの生えた餅を食べさせられていた、という話。
私にも心当たりがあります。

我が家では年末になるともち米を炊いて餅をつく習慣があります。
正月に備え、鏡餅用の大きな餅と、車や神棚に供える用の小さな餅、家族が1年間食べる用の小さな餅をたくさん作っていました。

鏡餅は年末から鏡開きまでの間、ずっと仏壇に供えられているので鏡開きのころには表面にうっすらカビが生えています。
それを包丁でこそげ落とし、おぜんざいの中にいれて食べていました。

神様にお供えしたものだからカビが生えても捨ててはいけない。加熱するから多少カビが生えていても食べられる。
それが普通だと思っていたし、どこの家でもそうしているんだと思っていました。

でもそれは普通ではないらしい
みそ汁のいりこを食べさせられたのと同じ、ACあるあるだよと教えてもらいビックリしました。

普通がどうなのか知りませんが、今はスーパーで真空パック入りの鏡餅があるから、「カビの生えた餅を食べる」ということ自体がないのかもしれません。
うちではカビが生えた餅が当たり前。食べきれない分は袋に入れて冷凍しています。(私の冷凍庫にも入っています。)

冷凍餅はみそ汁に入れて食べるとおいしいです。でも今はみそ汁を飲むことがないので、冷凍庫の奥で眠っています。
[2015/09/09 19:34] | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
祖母とスナック菓子
昨日買い物をしていたら「おさつどきっ」というお菓子を見つけました。
秋冬限定で登場するサツマイモ味のポテトチップスです。

これは祖母が初めて「おいしい」と言ったスナック菓子です。
それまでスナック菓子は敬遠していた祖母が初めて口にして気に入り、それからこの時期になると必ず買っていました。

久しぶりに見つけ、家に帰る用事があったので思わず買いました。
帰るのが嫌で嫌で、何日も前から気分がずーんと落ちていましたが、それを見つけたとたんに気持ちが軽くなりました。
「買って帰ったら喜ぶかも」と祖母の喜ぶ顔を想像してウキウキして、それと一緒に温かい気持ちが広がりました。

前回帰ったのは2か月前、その時は帰る前にりんりんさんに話を聞いてもらい、気持ちを整えて準備しました。それでも1時間が限界で、逃げるように戻ってきました。
今回は2時間ほど滞在できました。といってもリラックスしていたわけではなく、何も感じないように気持ちを押し殺していました。

いつもは帰ると「ずいぶん帰らなかったね、心配してたのよ」「ちゃんと食べてるの」と質問攻めで、私がどうしているのか探りを入れてくる感じが不快だったのですが、今回は近いうちに会う予定があるためか、探る感じは少なく向こうもリラックスしているようでした。

帰ったあとも落ち着いていて、家を見捨てた罪悪感や苛立ち、後ろ髪ひかれるような感じもなく、疲れも出ませんでした。
それが私が落ち着いているからなのか、感じないようにしているからなのかは分かりませんが・・・。

恨むなら妹より祖母を、と言われていますがやっぱり祖母を嫌いになれません。
近寄りたくないと思いつつ温かい気持ちもあって、複雑です。
[2015/09/09 19:15] | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
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