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「愛を乞う人」
「愛を乞う人」というドラマを見ました。

セリフの一言一言が突き刺さって、最初から最後まで涙が止まりませんでした。

ドラマを見ながら、子どもの頃の自分と母親の姿が重なりました。
いつ怒りが爆発するか分からない母親の表情をうかがい続ける子どもを見ていて、自分の子どもの頃の感覚がよみがえりました。
私の母親もドラマのお母さんのように怖かったけど、その中にある不安も子どもの頃の私はずっと感じていました。
母親も、ドラマのお母さんのように不安でいっぱいで、どうしたらいいのか分からなかったんだろうと思います。
お母さんは悪くない、この気持ちは子どもの頃から今でも変わっていません。

愛し方が分からなくて子どもを虐待してしまう母親、その母親の中にある寂しさや不安、子どもの気持ちが丁寧に表現されていて、私が子どもの頃に感じていて、言葉にできなかったものが形になった気がしました。


主人公の母親を近くで見ていた女性の言葉が印象に残りました。
「(お母さんは)不器用で、どうしていいか分からないから、自分が愛されている自信もないから、確かめたかったんだと思う。不安で不安で、「これでも私を愛してくれる?これでもそばにいてくれる?」って」

そして最後に、大人になった主人公が娘と一緒に母親に会いに行き、帰りにぽつりとつぶやいた言葉
「ちっちゃくなってた。もっとおっきい人だと思ってた。大きくて、強くて、怖い人だって。でも違った。」

私も今度母親に会いに行きます。
その時何を聞くのか、何を感じるのか、ドラマを見ながら考えていました。
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[2017/01/19 22:21] | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
ボルダリング
友人の誘いで、初めてボルダリングに挑戦しました。
ボルダリングは、ほぼ垂直の壁に取り付けられたさまざまな色や形の石を伝って、壁をのぼっていくスポーツです。
石のそばには色のついたテープが貼られていて、同じ色のテープがついた石を伝いながら登っていきます。

私は木登りなどほとんどしたことがなく、高所恐怖症なので、最初ボルダリングの壁を見た瞬間に「この壁をのぼるの?!無理!」と思いました。

最初は石に足をかけ、上の石を手でつかんだらそこから動けなくなりました。
両足と片手で体を支えつつ、もう片方の手で上の石をつかんで登っていくのですが、片手を離したら落っこちそうで、何度も足をかけては降りるのを繰り返しました。

ボルダリングは命綱なしで、自分の力だけで壁を上ります。どんな体勢をとるか、登るのか降りるのか全部自分で判断しなければなりません。体の感覚に神経を集中させつつ、頭もフル回転で、慣れない感覚にパニックになりました。

最初はお互い登る様子を見ているだけでしたが、そのうち見ているほうが後ろからアドバイスをするようになりました。
登っている本人は壁にしがみつくのに精いっぱいで、次にどの石に手をかけるか判断する余裕がありません。
そこで、後ろで見ている方が指示を出すようになり、二人で協力してチャレンジするようになりました。

うまく登れないときは、休憩しながら二人で考えます。
「あの石は手をかけにくいから、あそこの石はどうかな」など、登る側、後ろから見る側それぞれの意見を交換して作戦を練り、再挑戦しては作戦を練り直すことを繰り返しました。
その中で自然にアイコンタクトをして、「さっきはここまで来れてたから、次はきっといけるよ」と励ましあい、登っているときは後ろから「がんばれ!」と声を掛け合いました。
気持ちが交流する感覚はとても心地よかったです。

最初はしがみつくのに精いっぱいだったのが少しずつ登れるようになり、自分でも上達している実感がありました。
進歩が目に見えるので、もっとやりたい、もう少し頑張ろうとやる気がわいてきました。

2時間ほどやって、あと一つ石をつかめればゴールというところで体力が尽き、その日は後ろ髪ひかれる思いであきらめました。

協力プレーが楽しかったので、また行きたいです。
[2017/01/16 00:24] | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
灰羽連盟
大好きなアニメです。
それぞれ個性的な登場人物だけど、みんなが同じ痛みを持っているんだなと感じます。

お互いが思いあってることが伝わってくる、優しいお話です。

[2017/01/14 01:01] | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
自分で考える練習をします
私は意思を出さない癖があります。
自分がどうしたいのか言わずに人に言わせる、それは人と意見がすれ違うのが怖いからです。

実家への帰省でその理由が分かった気がしました。

家のことは祖母がすべて取り仕切っていました。
食事のメニューから風呂の時間まで、祖母の掛け声で家族が動いていました。

もちろん、祖母一人でできることは限られているので食事の支度など、ほかの人間が動く場面は多々あります。
それでも何を食べるか、いつ行動を始めるか、それはほぼ祖母が決めていました。

例えば朝ごはんは必ずご飯とみそ汁。それが暗黙のルールになっていて、それ以外のものを食べることは祖母への反抗とみなされ、批判されました。
朝起きると祖母がすでに支度を済ませて待っている。それがほぼ毎日。
「今日はパンが食べたい」という日があったとしても、それが実現することはありません。だから「これが食べたい」という欲求さえ感じないようにしていました。

晩御飯も同じ。時間になると祖母が動き始め、それに合わせて家族が動く。
祖母が高齢になり、思うように動けなくなってからは私が手伝いに入るようになりました。
晩御飯のメニューは一応話し合うものの、祖母が食べられない脂っこいもの、父親が嫌うものは作らないという前提のもとに献立を考えていました。

私は自分の頭で考えることをしないまま育ってきたのだと実感しています。
常に家の中の暗黙のルールに従い、祖母の掛け声を待ち、それに合わせて動いていました。

それはある意味楽な生活でした。
意思を持ちさえしなければ、身の回りのことは祖母がやってくれる。
そろそろお風呂に入りたいとか、今日は何を食べたいとか、考えなくても祖母が準備してくれる。まるで介護老人のような生活です。
一人暮らしを始めてから、自由になったはずなのにかえって負担が増えた気がしていました。
それは、全部自分で決める状況に戸惑っていたんだと分かりました。

何を食べるか、お風呂にいつ入るか、それを決めることさえ私には負荷がかかる。
だからいつも同じものを食べるようになる。グラノーラとおにぎりしか食べない生活は思考停止の結果だったみたいです。

そうやって先回りして世話する一方で、誰かが意思を出せば目つきや言葉で処罰を与える形で、祖母は家族をコントロールしていました。
妹は祖母のルールに反する意思を出すので、よく祖母とぶつかっていました。
その様子を見て私は意思を出さないことを選ぶようになりました。そうすることで安定と楽を手に入れました。

同じルールを共有する家族の中ではそれでうまくいっていたけど、家族以外の人には意思を出さないと相手は戸惑うし、私の意思を読み取ろうとして大きな負荷がかかることに気付いていませんでした。



きんたろうさん、りんりんさん、私と関わってくれているメンバーさんに負担をかけていることに気付いていませんでした。。
今まで甘えていて、すみません。

今年は自分の頭で考える練習をします。
今年もよろしくお願いします。
[2017/01/09 19:34] | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
帰省のこと2
実家に行った時のことを少しずつ書いていきます。

行ったのはお昼時だったので、行くとすぐにご飯が出てきました。
それも次々と…。

テーブルいっぱいに料理を並べ、食べろ食べろと勧めてきます。
Kちゃんも私も朝ごはんが遅かったからそんなに食べれないと説明しても聞く耳持たず、どんどん勧めてきました。
しかもほとんどが祖母の手作り料理。
私が行くことを事前に知らせていたためか、腕を振るったようです。

極めつけは「私が好きな」栗ご飯。
「あんたこれ好きでしょ」とニコニコしながら持ってきました^^;
あ~この笑顔を見たいがために私は「栗ご飯が好き」だと思い込んでいたんだなと実感しました。

前日Kちゃんが持ってきてくれた煮物にはタケノコが入っていました。
前に私が家庭訪問でお邪魔したとき「タケノコが好き」と言ったのを覚えていてくれて、入れてくれたのでした。

祖母の栗ご飯とKちゃんのタケノコ入りの煮物、どちらも「私が好きだから」作ってくれたものですが、感じ方は全く逆でした。
Kちゃんの煮物は温かかった。私を思ってくれる気持ちが込められていて、そこには何も乗っかっていなかった。
祖母の栗ご飯は温かくない。「孫が好きなものを作る優しい自分」、自己満足が透けて見えていて、「せっかく作ってやったんだから喜びなさいよ」という怨念まで込められていた。

私は前日に作ったカレーを持って行ったのですが、それには無反応でした。
食事の途中で「持ってきたカレー食べて」と声をかけました。Kちゃんも「5時間煮込んだんですよ」と言ってくれましたが、最後までカレーが出てくることはありませんでした。
あとで聞いて思い出したのですが、その時父親は「正月からカレーか」とぼそっとつぶやいていました。
父親にとっては私が作った過程やその思いより、「正月にカレーはない」という自分の決まりごとのほうが優先だったようです。

これは私もよくやることです。人の思いより配列優先。

父親はそういう決まりごとが多くて、私もそれを当然だと思っていました。だからその場では不快に気付かずに過ごしていました。
Kちゃんが「こんなこと言ってたね」というのを聞いて、そういえば不快だったと思い出しました。

人の思いを受け取らない雰囲気が普通に家庭内にあった、ということは私もそれをしているということ。
痛いところですが、受け止めたいです。
[2017/01/07 22:02] | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
実家への帰省と食卓
今日実家に帰省してきました。
一人で行くのは勇気が出ず、きんたろうさんの提案でKちゃんが一緒に来てくれました。

実家でのことはまだ整理ができないので、今感じていることを書きます。

今回はお正月ということで、Kちゃんがうちに来るときに煮物を作って持ってきてくれました。
ニンジンやレンコンが花の形に切ってあって、シイタケには十字に包丁を入れてありました。こんにゃくは味が染みやすいように手綱にしてありました。
目にも華やかで、味もしみやすく、食べる人のことを考えてくれていることが伝わってくる、細やかで丁寧な心遣いのこもった煮物でした。
煮物はKちゃんお気に入りのお醤油で味付けされていて、「おいしいものを共有したい」という思いが伝わってきました。
ぱさぱさにならないように、煮汁も入れて持ってきてくれました。

ドラマで煮物を食べて涙を流す人の気持ちがよくわかりました。

他にも黒豆や田作り、かまぼこも持ってきてくれて、お正月らしい華やかな食卓になりました。
私とお正月を楽しみたいと思ってくれる、その気持ちがうれしくて、身も心も温まる食卓になりました。
[2017/01/03 21:04] | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
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